日本京都「三十三間堂通し矢」最も特別な成人式

Hero
💡 クイック回答 (TL;DR)

古代の通し矢は弓術の種目の一つで、「堂射」や「堂前」とも呼ばれ、京都の蓮華王院本堂(三十三間堂)の西側軒下(約121メートル)で行われました。様々な種目の中で最も有名なのが「大矢数(おおやかず)」です。これは一昼夜(24時間)という制限時間内に、南端から北端まで射通した矢の数を競う競技でした。江戸時代前期に最も盛...

通し矢とは何か

古代の通し矢は弓術の種目の一つで、「堂射」や「堂前」とも呼ばれ、京都の蓮華王院本堂(三十三間堂)の西側軒下(約121メートル)で行われました。様々な種目の中で最も有名なのが「大矢数(おおやかず)」です。これは一昼夜(24時間)という制限時間内に、南端から北端まで射通した矢の数を競う競技でした。江戸時代前期に最も盛んになり、各藩の強力な支援のもと、多くの射手や挑戦記録が次々と生まれましたが、江戸中期以降は大規模な通し矢競技は行われなくなりました。

関連するテーマの漫画

ここ数ヶ月で日本で発売された漫画『天を射る』は、かつて三十三間堂の通し矢に挑んだ名射手を主人公にしています。その物語は、江戸時代前期の尾張藩士「星野茂則」をモデルにしており、寛文2年(1662年)5月28日に京都三十三間堂で大矢数に挑戦し、総矢数10,025本中、通し矢6,666本を記録しました。紀州藩の吉見台右衛門の記録を破って天下一となり、この功績により藩の弓頭に任じられ、知行500石を得ました。寛文8年には、紀州藩の葛西園右衛門が通し矢7,077本、総矢数9,000本で星野の記録を破りました。

天下一(日本一)

寛文9年(1669年)5月2日、茂則は再び大矢数に挑戦し、総矢数10,542本中、通し矢8,000本で葛西の記録を破り、再び天下一となりました。挑戦は5月1日の夕方6時に始まり、翌日の正午まで行われましたが、残り時間がまだ6時間ある時点で「後進に挑戦の目標を残すため」として余力を残して競技を終えました。この記録達成により、さらに300石を加増されました。この記録の15年後、貞享3年(1686年)4月27日に紀州藩の和佐範遠(大八郎)が総矢数13,053本中、通し矢8,133本で天下一となり、これが現在まで破られていない最高記録です。

近代では、挙母藩の第5代藩主内藤政優が天保13年(1842年)4月20日から21日にかけて奈良の東大寺西回廊で通し矢を開催し、4月21日に挙母藩士の安藤早太郎が11,500本中、通し矢8,685本(命中率75.5%)で当時の日本記録を更新しました。場所や建物の条件が異なるため単純比較はできませんが、一般的に東大寺での通し矢の方がはるかに難易度が高いとされています。尾張藩の儒官・秦世寿は碑文を残し、安藤早太郎の記録を古今第一と称賛しました。

現代の通し矢

現在の通し矢は、現代弓道の標準的な「遠的」の競技形式を取り、距離は60メートル、三十三間堂の北から南に向かって行われます。現在の三十三間堂の通し矢は「新開弓節(新春の矢開き)」や「大的大会」とも呼ばれます。毎年1月15日に最も近い日曜日に開催され、新成人(全日本弓道連盟初段以上で応募可能)が振袖や袴姿で成人式の記念として参加するほか、現代弓道の称号を持つ高段者の部も行われます。競技方法は一手(2本の矢)を引き、皆中(2本とも命中)した者が決勝に進出、決勝では一本勝負で優勝を争います。非常に難しいため、筆者が観戦した年では、1,000人以上の女子成年の参加者の中で決勝に進んだのはわずか6人でした。

三十三間堂通し矢の体験

2026年の三十三間堂通し矢は1月18日(毎年1月15日に最も近い日曜日)に開催されます。ここでは2023年のYouTubeライブ配信のアーカイブをご紹介しますので、興味がある方はぜひご覧ください。現在、日本への入国審査をスムーズにするため、関西国際空港などでも「Visit Japan Web」の事前の登録をお忘れなく。

京都での宿泊には『モクシー京都二条』、『ヒヨリチャプター京都トリビュートポートフォリオホテル』、『HOTEL THE MITSUI KYOTO(ホテル ザ ミツイ キョウト)』などを特におすすめします。もちろん、三十三間堂の通し矢を見学した後は、京都で着物を体験するのも素晴らしい経験です。浴衣や着物、あるいは新成人のような振袖に袴のスタイルを着て、「八坂神社、二年坂、三年坂、清水寺」などでの写真撮影を楽しむのにも最適です。

今日から弓道の旅を始めよう